2011/08/02

ボランティアに参加したくなったワケ 

東日本大震災の復興ボランティア活動に、参加する事にした。


失業して、はや2ヶ月。


忙しく働いていた頃には、休みが取れたら英語とフランス語の
集中講座に通おうとか、家中片付けて綺麗にしようとか、料理教室に行きたいとか
あれこれ考えていたのに、いざ連日ヒマになると、エンジンがかからず鬱々。


家の中で三十路過ぎの女がウダウダしているというのは、連日朝から晩まで
働いている彼にも、一応水泳とか習字とか頑張っている娘にも、申し訳が立たない。
なにより私自身も、スッキリといい気分になれず、胸くそ悪い。


こんな生活を続けていたら、あっという間に精神と肉体がブヨブヨになって、
彼にも捨てられ、娘も非行に走り、私は永遠の社会的不適合者になるやもしれん…
などと、飛躍した強迫観念すら頭をもたげてくる。
実際、ヒマとエネルギーを持て余し、情緒不安定になっている。


自分のグータラ加減に嫌気がさして、という参加動機もかなりお粗末なのだが、
そう遠くない場所で、古今未曾有の大災害で困っている人が沢山いるのだから、
この際、被災地で働いて来よう、と思い立った。


いあ、今までも、ツイッターや各種メディアを通じ、臨場感溢れる現場の状況を
聞いたり、液晶画面や紙面を通じてみる被災地の映像を見て、自分自身の 
“傍観者加減” に歯がゆさを感じていたというのもある。


なんせ私の日常の中では、牛乳や魚介類の購入を控えたり、節電を心がけたり
するくらいで、家も全く壊れていなければ、水道も電気もちゃんと通っており、
日常生活になんら支障はない。
テレビや新聞を通じて悲惨な被災地の状況を見たり、節電等はしていても、
私にとってやはり、東北の惨状はどこか「人ごと」なのである。


自分の中にあるその「自分には関係ない」的な感覚が、嫌だった。


「立派な人になりたい」といういやらしい欲望の現れなのかもしれないが、
なんだか、とにかく、ものすごく嫌だった。


ただ、自分も子どもが居るのに、いつまた余震や津波が起こるかもわからず、
場合によってはタップリ被爆の可能性もある場所に自ら出向くというのは、
無責任なのかもしれないとも悩んだ。…でも、行きたい。
娘には申し訳ないけれど、行かなかったら将来後悔しそうな気がする。
将来私がおばあさんになった時「あの時、行っておけば良かった」と思うのは嫌だ。

嘘か本当か2ちゃんねる発祥らしい「やらない善よりやる偽善」というフレーズも
脳裏に浮かんでくる。。。

決めた、行こう。
行って、思いっきり作業に当たってこよう。
無責任で独りよがりな自己満足かもしれないけれど、行かせて頂きたい。

善は急げと、被災地に取材に行っていた友人に意見を聞いたり、ネットで調べたり
して、某国際交流NGO団体が主催している、ボランティアツアーに参加する事にした。


参加条件を見ると、余震・津波・家屋の倒壊などによる怪我、そして放射能汚染の
リスク等の側面からしても、決して安全な場所ではないので、その点もふまえた
上で、家族の同意を得てから参加するように、という項目がある。
早速ビビるが、まあ、当然必要な事だろう。


ツイッターを通じて、ボランティアに参加した人々から、装備品の
アドバイスなども届く。知らない人とつながれる瞬間は、いつも嬉しい。


参加日程も決まったので、次はオリエンテーションに参加してくる。

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